海外で輝く!ブログ

サンディエゴ➡︎台湾➡︎シカゴ➡︎ハワイ(現在)の海外ライフ あれこれ

ハワイで甲状腺全摘出手術 ① -手術を決めた時-

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私は数年に渡り甲状腺亢進症(バセドウ病)を患っていて、メルカゾールを服用していたのだけれど、子供がもう一人欲しいかも、ということを主治医の先生と話すようになると、手術を勧められるようになった。

 

私の数値は、TSH以外はメルカゾールでうまくコントロールされていた。日本の甲状腺の先生に電話で意見を聞くと、日本では薬で治療していくだろうレベルだそうだけれど、妊娠したいならば手術してもいいかも、ということだった。

 

選択肢としてはアイソトープか手術かがあって、私としては体にメスを入れるよりもアイソトープが良かったのだけれど、周りの人を被曝させない為に必要な10日間の隔離はまだ小さい子供がいる私には現実的なオプションではなかった。

薬でコントロールできているなら手術は急がなくてもいいよね、とか、バセドウ病を患いながらも二人の子供を妊娠出産できた、と思ってなかなか手術に踏み切れなかったけれど、終わってみればやって良かったと思うので、手術の時のことを書いてみようと思う。

 

アメリカでは甲状腺の先生と、手術する先生は別。手術をすることを決めたら、甲状腺の先生から外科の先生に連絡が行き、外科の先生のオフィスからアポイントを取る為の電話がかかってくる。私の甲状腺の先生にはいつも手術を依頼している外科医がいて、患者が特定の先生をリクエストしなければその外科医に紹介されるとのことだった。

 

後日その外科医の診察を受けたのだけれど、何かしっくり来ない。若い女性の先生で、それが理由ではないんだけれど、言葉では表せないけれどその時は何かしっくり来なかったのだ。そうは感じつつも、その日はそこで手術の意思を確認され、手術日の予約もして帰った。その先生は週に二日手術日を設けていて、私が想像していたよりもずっと早く予約が取れた。

 

そして手術一週間前。ヘルプを頼んだ義理の母の飛行機も予約し、あとは手術を待つのみとなっていた時、主人の仕事関係で、クイーンズ病院のナースを紹介してもらうことになった。彼女も一週間ほど前に同じ病院(クイーンズ)で甲状腺の一部摘出手術を受けたらしく、話を聞かせてもらうために電話をしたら、別の外科医を勧められた。詳しく聞くと、彼女の甲状腺の先生も私と同じ先生で、始めは同じ外科医を勧められたのだけれど、自分の同僚(彼女はオペ室のナース)や、医者をしている自分の兄弟たちに聞いて、より経験があり、技術が上だと思われる先生に決めたとのこと。そしてその先生がお勧めだから、その先生に頼みなさい、と言う。

 

それを言われて、私が感じていた”何かしっくり来ない”と言う思いがむくむくと湧き上がってきて、結局彼女の助けを借り、彼女がオペをしてもらった外科医とまず電話で話し、セカンドオピニオンをもらうというつもりで診察を受けた。

この外科医の先生が、もうめちゃくちゃ良かった。この外科医は普段は癌センターにいて、癌の手術をメインにしているそうなのだけれど、とにかく忙しそうなのに、こちらの都合も可能な限り聞いてくれて、的確なアドバイスをくれる。忙しいのに色々ごめんね、と言うと、暇な外科医にオペを頼みたくないでしょう!とジョークも忘れない。

診察の後は私が持っていた疑問も全てスッキリ解決し、この先生なら信頼してお願いできる!と確信していた。もう後は手術を受けるのみ!麻酔が覚めたら手術はもう終わっている。それまでは術前の不安や恐怖と戦うだけだ、と自分に言い聞かせた。

 

続く...

 

 

10年のグリーンカードが一年半待ってやっと届いた話

 

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2年の条件付きグリーンカードから10年のものへの条件削除手続きをして、待つこと一年半。先日待望の10年のグリーンカードが手元に届きました。

 

ハワイから必要書類を送り、カリフォルニアサービスセンターからの書類受領通知を受け取ったのが2018年2月初旬。そしてその6ヶ月後の8月にI-797NOAが送られてきて、プロセスの遅延の為、もともとの滞在猶予である12ヶ月を、18ヶ月に延長すると記載されていました。

私は指紋の採取(バイオメトリクス)も面接も免除だったので、このI-797NOAが送られてきてからグリーンカードが届くまでの約一年間、特に必要な手続きもなく、待つだけの日々。

 

夏の終わりに日本への一時帰国の予定があった為、待ちきれずUSCISへ問い合わせたところ、このI-797NOA(18ヶ月の猶予について記載されている手紙)の期限が切れる日まで1ヶ月を切ったら最寄りのUSCIS フィールドオフィスへ行き、パスポートへスタンプをもらうように、とのこと。

 

期限切れの日まで1ヶ月を切るのを待ち、2019年7月13日にアポイントを作成してもらう為USCISのコールセンターへ電話。翌日コールバックがありましたが、主人の携帯の方へかかってきてしまい、私のオーソライズ(USCISが主人に私の件について話しても良いという権限)が無かったので、アポイントを取ることができませんでした。私のケースとは違って、何らかの理由で電話自体を取れなかった場合は、時間を変えて合計3回までコールバックしてくれます。

 

翌7月15日、もう一度電話をして事情を話し、私の電話番号が登録されている事も再確認。

7月16日 USCISから電話があり、オフィサーと話すことができました。私のケースナンバーを伝え事情を説明すると、なんと現在カードの印刷中、とのこと! わざわざフィールドオフィスに行って時間を無駄にしなくてもいい、カードはもうすぐ届くよ、と言ってくれました。

 

前日にオンラインでステイタスを確認した時には変わりがなかったのでびっくり。電話を切った後にもう一度ステイタスを確認すると、カードのプリント中、と変わっていました。

 

2~3日待ってからUSCISに電話するとトラッキングナンバー(荷物の追跡番号)を教えられるよ、とオフィサーから聞いていて、そうする予定だったのですが、ステイタスの画面にはトラッキング番号が記載されていました。

 

そして翌7月17日の深夜確認したステイタスではもう発送済み、と変わっていて、3日後の7月20日(土)にカードを受け取ったので、印刷のステイタスになってから手元に届くまではあっという間でした。

 

途中ステイタスのページに長い間、違うフィールドオフィスに転送された、と表示があり、このことについてオフィサーに聞いてみると、現在カリフォルニアオフィスはかなりたくさんのケースを抱えていて捌き切れない為、他のフィールドオフィスに振り分けられていたのだそう。

 

それにしても一年半は長かった!これで安心してアメリカから出国できそうです。

 

 

ハワイで妊娠した話① 妊娠高血圧症候群と妊娠糖尿病

去年の話になりますが、ハワイに引っ越して来てから第二子を妊娠しました。

私は第一子の妊娠時に妊娠高血圧症候群(Preeclampsia・プリエクランプシア)にかかっていましたので、第二子の妊娠中は予防の為、低用量アスピリンを処方されていました。低用量アスピリンはBaby Aspirinとも呼ばれていて、81mgのものを指します。

妊娠の途中からこれを1日一錠飲んでいました。

 

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また家庭用の血圧計も購入し、こまめに測りました。

妊娠も30週手前になった時、妊娠糖尿病を調べるグルコーススクリーニングテストを受けました。一晩絶食した後気持ち悪いほど甘いドリンクを飲み、1時間後に血液検査でグルコースの値を調べます。私は当時、血液検査のラボから道をはさんだ所に住んでいたので、1時間待つ間は自宅に帰らせてもらいました。しかしあまり身体を動かすと正確な数値が出ないため、近くても行き帰りは車で、家でもじっと動かないでいました。産婦人科の先生によると、待ち時間に寝てしまうのも正確な値が出ない理由となってしまうそうです。

 

残念ながらこのテストにひっかかってしまい、今度は3時間の再検査です。
今度は二倍の量のドリンクを飲み、ドリンクを飲む前、1時間後、2時間後、3時間後と、四回も採血されます。子供がいると時間的になかなか難しい検査でした。

 

結局私はこの再検査をほんの少しの数値オーバーしたことでパスすることができず、食事療法、そして簡易血糖測定器を使って、毎日何度も指に針をささなければならなくなってしまったのです。

 

 

つづく...

 

 

 

 

ハワイで他州の運転免許を書き換え

<以下は2018年4月時点での情報です。現在は変わっている可能性があります。>

 

 

イリノイ州からハワイへ引っ越してきて、今日は運転免許をハワイ州のものへと書き換えようと、カリヒにあるCDL - Commercial Driver Licensing Centerへ行ってきました。 ランチタイムを避けて13時頃行ったのですが、入って左側のチェックインの機械を操作していると、セキュリティのおじさんとCDLのスタッフが「今日のWalk-in受付(当日受付)はもう終わったよ。」と。

どこの州のDMV(Department of Motor Vehicles,日本でいう運転免許センターの役割も果たす)もすごく混んでいるものだと思っていましたが、なんとここではこんなに早く受付が終わってしまうようです(混み具合は日によって違うでしょうが)。  私が以前いたイリノイ州のDMVでは月曜日と金曜日は特に混雑していました。

 

彼らによると、Walk-inで確実に当日受付してもらいたいなら、朝の7時から10時ごろまでに来て、チェックインの機械で番号を発券するように、とのことでした。そんなに早くに来て、長い時間待つなんてとても大変です。

 

それなら予約をして、後日出直そうと今日は一旦帰ってきました。ちなみに予約もそのチェックインの機械でできます(シカゴではできなかったので便利さにびっくり)。トップページに3つ表示されているボタンのうち、Make an appointmentと言うボタンをクリックしてカレンダーから希望の日と時間を選ぶ。

しかしここではアメリカの電話番号が必要となりますので、まだ持っていない方は予約ができないかもしれません。(途中、携帯に認証番号が送られ確認する過程があります。)

 

予約状況も混雑していて、最短で3週間後しか取れませんでした。でも当日何時間も待つよりはマシです。と言っても予約があっても多少は待たされるでしょうが...

 

今日CDLで必要書類を確認のため見てもらいましたが、ハワイに在住している証明が2つ、それに身分証明書が必要となります(これは私の場合です。行かれる前にはCDLのHPで最新情報を確認してください)。私の場合はハワイに銀行口座を二つ持っていますので、私の名前と住所が記載された2つの銀行からのレターをそれぞれ1部ずつで2部、パスポート、イリノイ州の免許証でOKとのことでした。

と言ってもここはアメリカ、当日に追加で書類を要求される可能性も十分ありますので、そうなればまたアップデートしたいと思います。

 

筆記試験の有無についても聞いてみましたが、私のケースでは免除とのことでした。

 

予想外に早く終わってしまったので、隣にあるコストコでランチを食べて帰ってきました。ここにあるコストコでは、フードコーナーはお店の外にあるので会員カードがなくても食べられます。カードの提示を求められることもありませんので、ここに食べるだけに来ているローカルの人もいるようです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

アメリカで妊娠高血圧症候群(Preeclampsia)になり、緊急で出産した話 ②

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アメリカで妊娠高血圧症候群になり、出産した話②

これまでの話はこちら→

 

翌朝8時頃から促進剤の点滴が始まる。

ナースがいつからエピデュアル(硬膜外麻酔)を打つのか何度も確認する私に笑って、今麻酔医が同じフロアで他の患者さんに処置しているから、その後ここに来るように言ってあげるわよ、と言ってくれた。

エピデュアル(Epidural)を打つタイミングは病院や先生によって多少違うらしい。

子宮口が少し開くまで待つ先生もいるそうなので、検診の時に確認すると安心。

 

ほどなくして麻酔医が来てくれて、処置の準備を始めた。アメリカで出産した友達から、「あの麻酔の注射が痛いんだよね〜」と聞いていたし、いざ打つ時にナースが私の前に来て、痛みで動かないように私の体を押さえているので、意識が朦朧としながらもちょっとビクビクしていたのだけれど、チクっとしただけで全然大丈夫だった。

 

私「え?全然痛くなかった」

麻酔医「あ、これはまだ部分麻酔をしただけよ。」

 

じゃあナースは部分麻酔だけのために私の体を押さえていたんだ...

アメリカはやっぱり痛みのコントロールがすごい。

 

ちなみに前の晩、点滴のために入れっぱなしの注射針が痛くて痛くて、ナースが手首に差し直してくれた。なんとその時も部分麻酔をしてくれたのだ。

ふと〜い点滴の針を入れて、グリグリ血管を探すのが痛かったのだけれど、小さい針の部分麻酔をしてくれたので全然余裕。

 

陣痛の痛みが始まる前に入れてもらったエピデュアルだけれど、陣痛が強くなるにつれ、痛みを感じるようになってくる。

ナースから、自分でボタンを押して薬剤の量を増やしていいと言われていたので、2度ほど押した。子宮が収縮している感じや痛み?は感じるけれど、耐えられる痛み。プッシュする時のためにそれ位を保つようにしていた。

 

陣痛が来ている間も、妊娠高血圧症候群のために、帝王切開になる可能性も十分あるとのこと。ドクターにギリギリまで分からないと言われていたけれど結局自然分娩をすることに。

 

痛みはコントロールされているけれど、マグネシウムの点滴のせいで目を閉じるだけで意識が飛ぶ。

すぐ寝るのだけれど、薬で眠らされている深い眠り。

 

ナースが何度も子宮口の開き具合を確認しにくるが、麻酔が効いているので全く痛くない。

 

私はぼーっとしていたので、何時にドクターが入ってきたのか覚えていないのだけど、ドクターがガムをくちゃくちゃ噛みながら入ってきたのは覚えている。

私は、え?と思ったのだけれど、主人はそれを見て、そこまでシリアスな状況じゃないんだ、とホッとしたらしい。

 

私の出産したNorthShoreは産婦人科(OBGYN)だけでも10人くらいは先生がいる。赤ちゃんを取り上げるのはオンコールの先生になるので、当日初めましてにならないように、検診の時に毎回先生を変えて予約をし、診察してもらった。

結局取り上げてくれたのは、韓国系アメリカ人の男性の先生。韓国人の友達曰く、その界隈では結構人気のある先生らしい。

 

先生が破水させて子宮の収縮に合わせてプッシュを始めるも、薬のせいでなかなか力が入らない。

そのうちに赤ちゃんの心音が低下してきたので、急いで鉗子を使うことになった。

 先生から、鉗子を使うと傷が大きくなるので術後痛いけどごめんね、と言われたけれどチョイスはない。(術後は本当に痛かった)

 

赤ちゃんが出てきてくれたけれど今度は泣かない。私はそれすら遠い世界のことのように頭がぼーっとしている。主人はとても焦って、処置を見ていたそう。

しばらくしてほにゃ〜と泣いてくれて一安心だった。ナースは赤ちゃんを私に抱かせてくれたけれど、正直パッと見、子ザルちゃんのようで、あったかい赤ちゃんは不思議な感じ。

 

しばらく抱っこするも、私はマグネシウムのせいでずっと吐き気がしていたので、ナースに「吐きそう....赤ちゃんの上に吐いたら大変だから返します」と全然抱っこを楽しむ余裕がなかった。

 

でも大変な事になるのはこれからだった。

 

続く... 

アメリカで妊娠高血圧症候群(Preeclampsia)になり、緊急で出産した話 ①

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前回の出産時、私は妊娠高血圧症候群(Preeclampsia 発音:プリエクランプシア)になった。

出産予定日は12/31で、12/19に検診に行っている。その時の血圧はいつもに比べると高いが、正常範囲と判断されていたもよう。妊娠後期のむくみはとてもひどく、足はパンパンになっていた。

その二日後の夜、いきなり呼吸が苦しくなり、胸が締め付けられるように痛くなって病院に電話をした。私の出産したシカゴの郊外、ハイランドパークにあるNorth Shore Hospitalでは、夜間私が病院に電話をすると、まず病院からオンコールの先生に連絡が行き、15分ほどで先生から私に電話が掛け直されるというシステム。

苦しくて苦しくて、ソファーの上で胸を押さえて悶えている私にとっては、そのほんの15分が永遠のように感じた。

旦那さんがドクターに状況を説明して、ドクターは私と話したいと言ったみたいだけれど、胸が苦しくて話せない。

念のためすぐに病院に来るようにと言われ、シカゴの寒い夜、氷点下の中、車で急いで病院へ向かう。ここで凄かったのが、バタバタしている状況の中、旦那さんが出産準備バッグを持って家を出たこと。これが助かった。まさか翌日に子供が生まれるとは予想だにしていなかった。

 

病院までは飛ばして10~15分くらいの距離だったのに、とにかく息が苦しくて、辛かった。悶えながら、窓を開けて空気を吸おうとする。

 

エマージェンシールームに着いて事情を説明すると、すぐに車椅子に乗せてくれて産科のフロアへ連れて行ってくれた。その間ひたすらI can't breathe! I need oxygen!(息ができない!酸素をちょうだい!)と苦しんでいる私。

 

ナースが分娩室(LDR)へ案内してくれ、このベッドに上がって、と言われ上がったベッド。それから4日間、ベッドから一歩を降りられない事になるとは、私も旦那さんも想像していなかった。

 

アメリカでは多いLDRとは、陣痛(Labor)、出産(Delivery)、回復(Recovery)までを一つの部屋で行うシステム。部屋の移動がないので楽ちん。

 

ナースと先生がバタバタしているので、何かが起こっているのは分かっていた。

先生から、血圧が高くて(上が180ほど)妊娠高血圧症候群になっているということ。

赤ちゃんを体から出さないと母子ともに危険なので、明日の朝から促進剤を始めて出産するということ。

今は自然分娩の予定だけれど、血圧次第では帝王切開になる可能性が高いこと。

今から血圧を下げるためのマグネシウムを点滴することなどが説明された。

 

このマグネシウムがとても厄介。吐き気、眠気、めまい、意識が朦朧とするなど、頭がもう飛んじゃっている感じ。転けてしまうので、自分で立ち上がることも禁止。

出産後は私一人で赤ちゃんを抱っこする事も禁止(投薬が終わればOK)。力が入らず赤ちゃんを落としてしまうかららしい。

おしっこの管も入れられ、ただただ横になっているだけ。

血液検査がたくさんあり、ふと〜い針を両手に何箇所も刺され、全部の検査が終わる頃には午前3時を回っていた。

病室は広くて、ソファーベッドがあったけれど、旦那さんには家のベッドでゆっくり休んで欲しかったので一旦帰ってもらう。

マグネシウムのせいで、目をつぶるとその瞬間意識が飛ぶ。

恐ろしい薬、マグネシウム...

 

 

続く...

 

 

 

 

 

 

 

 

 

アメリカでバセドウ病を治療する

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私は5~6年ほど前にバセドウ病と診断され、治療をしています。

日本の専門のクリニックでまずはチウラジールを処方されたのですが副作用がひどく、チウラジールで治療をする選択肢は無くなってしまいました。全身のひどい倦怠感、吐き気、白血球減少、肝不全など、毎日ぐったりするほどの副作用でした。

 そしてメルカゾールで治療をしていく事に。定期的に血液検査をして、その結果によって指示された量を飲んでいました。

 

シカゴに引っ越してからも、専門の先生の元で検査、治療をしていました。私の行っていた病院はイリノイ州 Bannockburnにある、North Shore Hospitalでしたが、担当は綺麗で優しく、丁寧なとても良い先生でした。

 

一番心強かったのが、先生ご自身も同じバセドウ病を患っていて、3人のお子さんのうち、2人はバセドウ病になってから出産した経験者でいらっしゃるということ。

妊娠を希望していたけれどバセドウのことで不安がいっぱいだった私を、大丈夫よ、私は無事2人を産んだから、と優しく励ましてくれました。

 

 アメリカでバセドウ病の治療は、Endocrinology(発音はエンドカナラジーが近いかな)に行きます。日本語では内分泌科です。先生のことはEndocrinologist(エンドカナラジスト)と呼びます。

 

血液検査では日本と同じように、TSH, FT3, FT4の値を血液検査で調べます(注射針が太い(涙))。薬も日本ではメルカゾールとして販売されているMethimazole。

私のかかっていたNorth Shore Hospitalは大きいので、血液検査の結果も当日〜翌日に出て、先生から、血液検査の結果と薬の量についての指示が、病院の私のメンバーページにメールで送られてきます。検査結果を聞きに後日わざわざ出向かなくて良いし、質問があればそのメールに返信すればいいだけ。めちゃくちゃ簡単!

 

私はアメリカの先生と、日本の先生の二人の診断を仰いで治療方針を決めていました。

血液検査の結果が出たら日本のクリニックに電話をして、電話再診扱いで先生のご意見を聞きます。それを繰り返して思ったこと。やっぱりアメリカの先生の薬の処方の量は多い。毎回すごく実感しました。

 

日本の先生は、メルカゾールが飲めない時、かわりに都昆布を食べてヨウ素を摂って、と言いますが、アメリカではきちんと臨床試験が行われ、データが出ているものしか信用しません。昆布を食べている、と先生に言っても、したいことは分かるけど、効くと確証のある方法で治療して、と言われました。

 

私は妊娠前3~4ヶ月は完全に投薬治療をやめて、妊娠中も、出産後も飲んでいません。出産後は授乳していたし、授乳が終われば二人目が欲しくなり、お薬をやめたままです。血液検査の値は悪いです。体はしんどいし、ドキドキもしています。

 

妊娠中はバセドウの値が少し良くなることが多いとのこと。そのかわり、出産後はぐっとワイルドになる(悪くなる)ことが多いとアメリカの先生に言われました。

私もそうなりました。

でも定期的に診察を受けに行き、血液検査をしてもらって、何とかここまで来ています。

 

このまま自然治癒することはないので、これからの治療についても考えていかないといけないな、と思っています。